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はじまり

最終更新: 2019年9月24日

思えば忙しい家で育った。


家の一階には父が経営する

住宅設備会社の事務所があり

通学路の途中には母の毛糸屋があった。

自営業の両親は、

朝から晩まで休みなくよく働いていた。

ちいさな離島だから

身内もご近所も友だちの親も、

みんな自営業者だ。

私は働く大人の姿を

毎日見ながら大きくなった。


夕食時の話題は

手形を割るとか割らないとか

銀行の融資とかの話が主だ。

学校はどうかと聞かれた記憶はない。


島で建築関係の仕事というと

大抵は公共事業なので、

動くお金も大きいが

その分入ってくるのに時間がかかる。

お金の工面に四苦八苦している両親の

眉間にしわを寄せた顔ばかり見て

育った私は

お金を持つことは、いろんなことから

自由になることだと

早くもそう悟っていた。


働きづくめの両親を見て育ったので

寝ないで惜しまず働くことは

全く苦にならず、

リクルートの月刊誌の

編集デザインをやっていた頃は

おかげでずいぶん頼りにしていただいた。

多い時で

150ページを超える編集デザインを

アシスタントも雇わず

ひとりで作った月もあり

自営業なので忙しければ忙しいほど

収入は増えた。

お金はいつか

自由な選択をするときのために

取っておこうと心に決めて

寝る間も惜しんで仕事ばかりしていた。


そんななか父が亡くなった。

自死であった。

仕事仲間の借金の

連帯保証人になったおかげで

ものすごい額の借金を背負っていた。

離れて暮らす私には

わからないことが多すぎて

誰を責めるわけにもいかず、

ただただ自分を責めた。

私が守ってあげられたかもしれない。

そう思うと、

これまでの仕事づくめの日々が

なんの意味もなくなって

心が空(くう)になった。

小柄だった父の、

重い鉄骨を運ぶ姿を思い出しては

毎日泣いた。

それでも月刊誌の仕事は

1号も休まなかった。


何年か経ち、

そろそろ
新しいデザイナーに変えたい

という意向を

編集部から告げられた。

16年間一号も休まずに

続けた仕事の最後はあっけなかった。



あっさり終わったことで逆に

グラフィック以外の仕事をやる気になれた。

それまでサブ的にやっていた毛糸の仕事を

きちんとカタチにしたい。

やりたい毛糸屋さんのイメージは

なんとなく頭にあったので

そうと決めたら早かった。


自由な選択をするときのために

貯めていたお金で

心からいいと思える毛糸や道具を仕入れた。

こんなものがあったらいいのにと

思うものをかたちにするべく奔走して

まずはハンドオイルが出来上がる。

初めてできた自分の商品を手に

これから始まるいろんなことを想像して

胸がワクワクした。

ほんとうの自由を手にした気分だった。


こうした始まったアムヒビニット。

借り入れは絶対にしたくなかったので

できる範囲の精一杯でのスタートだ。

おなじ自営業者の夫とは

それぞれ独立採算制で暮らしているので

お願いして、オープンから半年ほどは

家に入れるお金をちょっと負けてもらったが

今は以前と同じくらいの額を

入れられるようになってきた。

毛糸の仕事ではまだまだ新参者なので

それがなによりうれしい。


ネットショップがきっかけで

ちいさなアトリエも持てた。

すべて一人でやっているせいもあるが

ネットショップの運営は思ったより大変で

目が回るほど忙しい。

それでも深夜アトリエにひとりでいると

毛糸に囲まれていることが嬉しくて

自然にニヤニヤしてしまう。


女子高校生時代に

「お金をたくさん持って自由になる」

なんて

真剣に考えていたのが

自分でも可笑しいが

でもそれが今の自分を

作ってくれているように思う。

生き方をもって教えてくれた、

父と母に心からの感謝を。

そして最近めっきり

食事を作れなくなった私に

何も言わず、

スーパーの惣菜コーナーで、

のんきな顔して

「なに食べようかなあ」と

言ってる夫へ。

本当にありがとう。

スタッフさんが決まるまでもう少し

惣菜と外食のルーチンは続きますが

どうぞよろしくお願いします。


私にはきっと老後なんてやってこない。

多分死ぬまぎわまで働くのだろう。

そのあとあちらで父に再会したら

今度こそはゆっくり休んで、

のんびりとおしゃべりなんかしながら あったかいセーターを

編んであげようと思う。


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